4月21日(火) 曇り

 ヤンプーは午前8時にはホテルに迎えに来てくれることになっていたが、時間になってもなかなか現れない。表通りに出て人の流れを見ていると、さすがに多民族国家と言われるように様々な表情の人が通り過ぎて行く。ボンヤリ立っていると物売りやタクシーの客引きがすぐ寄ってきた。

 ヤンプーは40分遅れでやってきた。悪びれた表情は何もない。にこやかな笑顔でインド製の大型のタータのバスをチャーターしてきた。私たちの方が時間に追われる日常生活を忘れてこの国の習慣に慣れないといけないようだ。なにせこの国は何事もビスターリ(ゆっくり)なのである。車中には今後私たちと行動を共にするシェルパのプルパ・ドルチ、パサン、ミンマテンパ、ソナム、サランステンシタそれにチーフコックのケービグルン、コックのプルナ・ライ、サントスグルー、ブッディ・ライの9人がすでに乗っていた。プルパ以外は初めてみる顔であるが全員がモンゴロイドで違和感はない。

 カトマンズの人口は福岡よりもやや多い150万人が居住すると言われる。出勤時間と重なり、人や自転車、バイク、車の混雑が酷い。精製の悪い粗悪ガソリンの匂いが充満して漂い、マスクを掛けている人が目立つ。市街を抜けて山道に入ると、意外に対向車が多く、人や荷物を満載したバスやトラックと狭い道を離合する機会が多く、譲り合いで走行するので行程は大幅に遅れた。

 車外にあふれた乗客
 

 最初のパーミットチェックは警察が管理するカカニにあった。ここはヒマラヤの展望台と言えるところであるが今日は生憎く雲が掛かり何も見えない。遥か遠くに激しい上昇気流の動くあたりが私たちが目指すランタン・ヒマール山群に違いない。今年のヒマラヤ一帯は天候が不順で積雪が多いと聞いていた。遠くの雲の中は多分降雪があっているのだろう。

 丘陵地の中ほどを車道が走り、その上下、谷から峰まで至るところ耕されて畑となっている。土地は痩せた赤土でトウモロコシが植えてある。単調な丘陵地の山道を1時間も走り、段々畑が水田に変わるころトリスリ・バザールの街に着いた。ここは街道の要衝で陸軍の駐屯地があり、今日はお祭りがあっているのか、民族衣装に着飾った人や軍服姿が目立ち大勢の人が集まっていた。

          

トリスリ・バザールのチェックポスト

カリカタンのチェックポスト

 

 トリスリ・バザールを過ぎてボーテ・コシ(河)に別れるといよいよ山道に入る。丘陵地の段々畑をジグザグに、登りばかりの車道を約2時間も走り、高度にして約1000mを登り、カリカタンの警察のチェックポストを過ぎるとまたすぐに軍の検問所がある。この街道がこの国でも一番チェックが多く目的地に着くまでに5個所も受けなければならない。その中でもこのダウンチェの町に入る前の軍の検問所は厳しく、グルカ兵が銃を持って立番をしている。今までのチェックは書類だけの簡単な届で良かったが、ここでは荷物全部を公開しなければならない。ダウンチェからチベット国境までは1日半ほどの距離で、政府の意向と関係なく交易は盛んに行われているらしく、カトマンズへ向かう車については比較にならないほど検問は厳しいとヤンプーは言った。

 ヤンプーはダウンチェの町で明日からのポーターを探していたが集まらなかった。

 村のかじや
 

旅行社であれば事前に準備するものであるが、彼の方針として経費は現地に配分したいということである。ダウンチェの町から車一台が通れるほどの急坂をジグザグに約1時間、600mも高度を下げ再びボーテ・コシ沿いに降りて午後7時、今日の宿泊地であるシャブルベンシ(1430m)に到着した。山間の村はすでに暗く、予定を変更して、ロッジに宿泊した。

 
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