原田美穂のモンゴル日記(地方編)
9月11日(土)
午後2時関西空港発のモンゴル航空904便はほぼ定刻5時30分(日本時間6時30分)にウランバートルに着陸した。4月に行った時は天候不良のため10時間もかかったことを思い出しながら入国審査へ進むと、日本人観光客の列。10月からは雪もふり、直行便もなくなるので、最後のツアー客だろう。皆カジュアルな服装で次々にリュックを取って楽しそうに出ていく。ビジネス客は我々を含めて少数なのだが、なぜか1つもスーツケースが出てこない。
隣の席に座っていたインド人商社マンはエコノミークラスの荷物の方が先に出てきていることに激怒している。でも私は平然としていた。なぜなら、過去2回の経験でこの国におけるキーワードは“忍”であることが身にしみていたから。
待っている間にモンゴルの最新政治事情について書かれたコラムを読むことができた。
2度目に行ったときは政権交代で登記局の首脳陣も変わっていたので、予備知識が必要なのだ。さんざん待たされたあげく、結局出てきたのは1番最後。よその航空会社においては最優先で出てくるべきファーストクラスの荷物が後回しにされたとなると、クレームの対象にもなるだろうが、なにしろこれはモンゴル航空。まだまだ資本主義のサービスたるものがわかっていないのだから、この程度のことで怒っていてはストレスがたまってしまう。迷子にならなかっただけいいやと思えば腹もたたない。
税関を通るとJICAの山田氏と通訳のムンフさんが出迎えにきてくれていた。
早速日程表に目を通すと、13日から17日まで「オブス県でセミナー」となっている。
出発前JICA本部からはダルハン、エルデネド(モンゴル第2第3の都市)でのセミナーだと聞かされてきたのだが、急に予定が変更されたらしい。オブス県はモンゴルの西の外れにあり、プロペラ機で3時間以上かかるらしい。いやな予感がした。
今回のホテルは日本資本の入ったフラワーホテル。ここを選んだのは大浴場があるからなのだが、やれやれとゆぶねにつかった瞬間、突然あたりが真っ暗に。電力の供給が充分でないモンゴルでは一流ホテルでさえ、停電は日常茶飯事。こんな時こそあわててはいけないと再び“忍”を思い出し、じっと耐えていたら、ゆでだこ寸前で明るくなった。明日からは懐中電灯を持って入ろう。
編注 この文章は、原田美穂会員が1999年9月にモンゴルに行かれた時のものです。