<どうしてだろう。ここの地区だけ住居表示が実施されなかったのだろうか…>日間名の怪訝そうな顔に心配した満腹不動産の社長が尋ねた。

「先生、どうかされたんですか?」

「いえ、気になる処があったものですから、もう少しお待ち下さい。」日間名が答えるなり売主が急がすように云った。

「先生すんまへんけど私もこれからいろいろと用がありまっさかい早ようお願いしますわ。」

 日間名はあせった。しかしこの住所のことと云い何かが気になる。

「先生、はい実印ここに置いときますさかいどこでも好きなところに早よう押しとくんなはれ。」

 売主はそう云って実印を日間名の目の前に置いた。日間名は無言の圧力を感じたが、彼は差し出された実印を無視して謄本に目を落としたままそこから醸し出される悪臭を嗅ぎとろうとしていた。

<甲区四番、所有権移転、受付年月日、番号、原因、所有者、校合印……〉

 校合印…そうか、これか。日間名が最初謄本を見たときから気に掛っていたものの一つが氷解した。

 それは甲区参番校合印と甲区四番のそれとが同じ登記官のものであると云うことであった。甲区参番の登記が20年も前であるというのに。

 日間名は補助者の田中に小声で何か命じた後、

「皆さんもう一度法務局で調査したいことがありますのでもう暫くお待ち下さい。」

 と云った。瞬間売主達の顔色が厳しくなった。

 
探偵
 

「先生、書類もちゃんと揃とりますやろが、はよしてもらわなわしらかて困りますんや。それとも何でっか何か問題があるんですかいな、何を調査したいと云うてはるんや、他の司法書士さんやったらさっさとやってくれはりまっせ。」売主の責め立てるような言葉を無視して日間名は毅然として云った。

「もうじきはっきりします。今、事務員が調べていますから。」

 買主は何が何だか訳が分からず手持ち無沙汰にしているだけだったが、一方売主は日間名の毅然とした態度に落ち着きを無くしていた。30分後田中から電話が来た。

「やはり先生の云われた通りです。権利書番号の申請書を閲覧しましたがその番号は全く別の事件でした。それから法務局の人に調べてもらいましたが校合印も偽物とのことです。」

 ここまで聞くと日間名は受話器を置き、売主と称する佐木野を一督し確信に満ちた声で云った。

「お待たせしましたが、只今連絡があった結果この取引は決済できません。その理由はあなた方はお分かりだと思いますが。」

 ここまで云うと売主たちは何か言いかけたが「警察には連絡しているそうです」と日間名が追い討ちをかけるように云うと脱兎のごとく事務所を逃げ出して行った。

 
パトカー
 

 呆気にとられている買主たちに日間名は売主と称する者達が所謂地面師と云われる詐欺グループだろうと説明し、登記簿が改竄され権利書が偽造されたものであることを告げた。

「先生のお陰で被害に遇わなくて助かりました。それにしてもよく見破りましたね。有難うございました。」

 満腹不動産は買主を見やりながら日間名に感謝した。

 買主は幸いにも手付け金も払ってはいなかったので実害が無いことを喜び日間名の事務所を去って行った。

「先生、さすがですね。」

 補助者の田中が尊敬の眼差しを向け云った。日間名は、司法書士としての使命を全うしたことに誇りを感じ良い気分であったが、続けて云った田中の言葉に一抹のむなしさを感じたのである。

「しかし、今日の事件には散々振り回された割には一円の報酬も貰えませんでしたね。買主も先生が未然に防いだからこそ、何千万円もの被害に遇わなくてすんだのに。

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