現在モンゴルの土地はまだ国有なので、どこにゲルを建てても基本的にはいいらしいが、ウランバートルは特別区なので許可が必要なのだそうだ。ゲルは木とフエルトで出来ており、円形の骨組みの上に防水性の布を掛け、煙突代わりの天窓が開いている。冬は羊の糞を床下に敷いたり、同じく糞を固めた固形燃料を燃やして暖をとる。中心にはストーブが置かれ、その奥が主人、入口右側が女性・子供、左側が男性・客人の席。北奥の最上席には仏壇が置かれる。ウランバートルの人口62万人の内、アパートに住めるのは約30万人で残りの32万人はゲルや木造住宅に住んでいるという事である。お寺のまわりで、このようなゲル集落を沢山見かけた。

 夜になって近くの中華レストランに歩いて出かけたが、街灯がなく、歩道が真っ暗で人通りが少ないのに驚いた。おまけに10時以降はバータイムだと言われ、食事の際中に、突然照明をおとされ、チャイコフスキーがかかり出したのは妙な気分だった。この後、燐の席の男性が突然流暢な日本語で話しかけてきて、よかったら御一緒しませんかと誘われたが、明日からの仕事の事を考えてお断りした。帰りはレストランで呼んでもらったボロボロのタクシー(パンクしているかと思ったほど)で、無事ホテルヘ。斎藤先生は今日一日わたしのぺ−スで歩き回り、大変お疲れになったようだった。

 

 登記局長室にて

 ツオルモン局長とチエデンダグバン次長、斎藤先生と

 

 9月14日

 朝9時に通訳のチョロンさんが迎えに来る。まずJICAモンゴル事務所ヘ。四釜所長から現地事情のレクチャーを受ける。それによると、民主化後の失業率は政府発表で35%、実際はそれ以上なのだそうだ。五月に来日したバガバンディ大統領が、経団連で経済協力と投資を呼びかける講演をした内容について質問すると、法律的に保護されていないので、現段階では実際投資はほぼ不可能だということだった。

 もともと遊牧民の国なので、投資という概念はないらしく、驚いたことには、日本大便館やJICA事務所の家賃・電気代は現地の40倍らしい。外国企業を優遇して育てた方が得策なのではという私の質問に対し、それは種を植えて収穫を待つ農耕民族的発想だと言われた。遊牧は今どこに草が生えているのかが問題で、だから今金を取れる所から取るという発想になるそうだ。そういう意味では、年間計画なんて立てられず、数ヶ月単位で物事が変化しているのだそうだ。日本からは今まで、テレビ等の報道関係・警察の鑑識技術・観光開発の分野で技術者が指導に来たらしいが、「何を教えてほしいのか」という質問に対し、「何を教えてくれるのか」という答えが返ってくると聞き、なるほどと思った。というのも、今回の話が決まってから、なるべく現地のニーズに合った資料を持ち込むべく、今何が必要なのかを再三にわたって斎藤先生がJlCAを通じて請求したにもかかわらず、日程表が届いたのは出発前日。それも直訳らしく、あまり意味が分からないようなものだった。だから今回は、現状視察を兼ねた手探りの状態で、カナダの弁護士の友人から送ってもらった英語版の不動産登記関連書類や、日々の業務で取り扱う添付書類付の各申請書類一式・自分の戸籍・住民票・字図等々思いつくままファイルしてきた。四釜所長から、この国では十数えて一理解してもらえれば成功だと言われ、なんだか複雑な気分になった。

 
 
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