9月15日

 セミナーの初日。10時に登記局に着き、会場の部屋に人ると既に20人を越す人が待っていた。今日は登記局の職員が中心のようだ。局長の挨拶の後、片言のモンゴル語で自己紹介をすると、参加者の雰囲気が和んだ。

 午前中は斎藤先生が「日本の登記制度の歴史」をレクチャーする。さすがに大学で講義をもっている不動産登記法の学者らしく、説明が大変うまい。午後からは私もそれを見習って、実体と手続きの両面から東京法務局のビデオの映像や登記簿謄本・申請書類のコピー等を見せながら、日本の登記制度の説明をした。

 

 セミナーの様子

 

 

 今のところモンゴルでは、登記制度が始まって1年余りで、しかも社会全体が私有財産制度に慣れていないせいか、登記に対する外部からの需要も少なく、登記はまだ権利の記録という認識であって、権利を外部に知らせる、つまり公示のための制度だという認識が薄いようだ。仕事の内容は私有化されたアパートの権利の記録(所有権保存登記にあたる)が中心であり、譲渡、担保の登記も増えているとのことだ。斎藤先生によると、モンゴルの登記の法的性質は、英米法的な権利の記録(レコーディングシステム)をモデルにしたもののようである。この方式は、権利を取得した者が、その記録を申し出て、登記機関が順番に記録しておくだけなので、手続の機関・設備をコンパクトにすることができる。しかし、手続き開始当初は良いが、取り引きが盛んになり記録が増えるにつれて、他人が特定の不動産の権利関係を調べたい時などに、登記機間がその記録を探し出すのに難点があるそうだ。

 

 権利証の交付窓口

 

 

 そこで、まず、システム全体を日本法的に替えることは出来ないまでも、登記局の記録保管室には、書棚に入りきれない記録が机の上に積まれていたので、取引き社会において登記に課せられた最大の役割は、「他人が見る」ことである点を強調し、整理が後日のために極めて重要であることと、方法の工夫が必要であることを指導した。この後の質疑応答では初日から熱心な質問が相次ぎ、終了時刻が一時間もオーバーしてしまった。

 

 1箱に10組の申請書一式

 

 

 帰りに町全体を見渡すため、ホテル近くの丘に登ってみた。この丘はザイサン・トルゴイといい、1939年のノモンハン事件のモザイク壁画がある。これはモンゴルを侵略しようとした関東軍が、ソ連とモンゴル軍に大敗した時のもので、両軍兵士が大日本帝国とナチスドイツの旗を踏み折っている。福岡には蒙古の再来襲に備えて、鎌倉幕府が博多湾沿岸に築いた元寇防塁があるが、考えてみれば、これで一勝一敗である。そんな過去の事はこの際水に流して、滞在中は私なりにベストを尽くそうと思いながら遠くを眺めると、煙をあげている工場群が見えた。念のため工場財団の資料も持ってきたので、明日は銀行員を相手に、工場財団の話もすることにしよう。

 
 
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