不動産業者の田中から電話があった二日後、彼は今回の取引の売主である田島幸一を大田の事務所に連れてきていた。 「先生、この人がこの前電話で話しました売主の田島さんです。」見ると、やせぎすで、少し青白い顔のせいか神経質そうに見えなくもないが、ニッコリほほえむと、人のよさそうな顔になる。 大田は、この売主である田島がどのような人物であるか多少危惧していたが、永年のカンからか、ひとまず変な人物でないことを嗅ぎとった。 「先生、権利書いくら探してもどこにやったか分からないので青くなってましたら、田中さんがこちらの先生が都合よくしてくれるからと言われまして、ほっとしたわけなんです。こういうことには不慣れで何も分かりませんのでひとつよろしくお願いします。」 ピョコンと頭を下げ、如何にもこういった手続きには不慣れな様子であった。 大田は田島とは面識がなかったので、運転免許証、印鑑証明書を提示させ、本人であることの確証を得て、『保証書』の手続きのための書類を作成した。 「いいですか、田島さん。これで後は買主さんからの書類を貰って私の方で法務局に手続きをしますので、一週間後位にはあなたのもとに法務局から照会のハガキが来ます。そのハガキが来たら田中さんに連絡をとって頂いて改めて最終決裁の日どりと時間を決めて下さい。もちろんその時には買主さんもお見えになりますので、あなたのハガキと引換えに売買代金が支払われますよ。」 大田は噛み砕いて『保証書』の手続きを懇切に説明した。 田島は 「安心しました。後は全部先生におまかせしますのでよろしくお願いします。先生の費用については十分に請求して下さい。その時お支払いしますので。」 と言い残して田中と事務所を後にした。 大田は早速買主側の業者である生野不動産に連絡を取り、売主とのやり取りを報告し、明日、買主である木村と一緒に事務所に来てもらうよう打合せをした。 一連の打合せが終わったのが午後4時近くであった。 |
−今日は久しぶりにゴルフの打ちっぱなしに行くかな… 大田の唯一の趣味はゴルフである。ひと頃は足繁く酒場に出かけたものだが、歳とともに酒が弱くなり、夜出かけるのが億劫になっていた。健康のためにももっぱらゴルフ一筋というところだが、このところアイアンの切れが悪く、スコアが伸びず悩んでいた。 ゴルファーというものは往々にして、調子が悪くなるとクラブのせいではないかと思い(自分の腕前は棚にあげて)新しいクラブを欲しがるものだが彼も例外ではなかった。最近Hというメーカーから出されたチタンカーボンのアイアンセットが欲しくてたまらなかったが、その値段の高さに躊躇して未だ買わずにいたのである。
田島幸一は明日の取引に持参するものを再確認していた。一週間前に法務局から届いたハガキ、印鑑証明書、実印、それに権利書… 今はめぼしいものは何もない自宅の畳の上にそれらを置いた。 −いよいよ明日か− 彼は独り言のように呟いた。抵当権を設定している銀行にも連絡済であった。 地価が下がったといっても坪70万円はする土地である。建物の価値は無くても、土地だけで80坪だから5600万円。銀行の借金3600万円を返済して、不動産業者などに手数料を支払っても彼の計算では7200万円位は手元に残ることになる。 −このうちの半分を別かれた妻や子供に送ってやろう…。 この地で商売を始めて足掛け10年。永いようであっという間であった。3年前には両親を亡くし、現在では女房、子供とも分かれ、もはや、この地に何の未練もなくなっていた。 田島は飲みかけのブランデーの最後の一滴を飲み干すと、駅前のホテルへと向かった。 3/6 |