〈真夏の悪夢〉

 

 異常に熱い日であった。首にまつわりつく汗が、さらに不快感を増していた。
 だが、日間名司法書士にとって何となく落ち着かなく、不快な気がしたのは、この熱さのせいだけではなかった。
 今日は、久しぶりに大きな取引に立会った。売買代金6億円。
 この不況といわれる時代にあって、日間名にとっては、ありがたい取引の立会いであった。そういう意味から言えば、もっとウキウキして当然のはずなのに、仕事をやり終えた充実感や壮快さが感じられない。いや、不快感さえ覚えるのである。
 いつもは決してこんなことはないのに、今日に限って気持ちが揺らぐのである。
 日間名は立会い場所の銀行を出ると、流しのタクシーを呼び止めた。車内はヒンヤリ、と冷房が効いていたが、相変わらず気分が晴れない。
 外界の暑さにもかかわらず、まるで寒風吹き荒ぷ、真冬の日本海側地方に居るかのような、薄暗くどんよりとした気持ちである。
 日間名はタクシーの運転手に行く先を告げ、しばし黙考をした。

 
 
 

 「お客さん、外は暑いでしょう…」運転手の問いかけに、生返事をした日間名は、カバンの中から携帯電話を取りだし、友人の磯樫司法書士の短縮番号を押してみた。
 磯樫司法書士とは司法書士受験勉強時代からの友人で、互いに独立開業した後も、仕事や遊びに良い意味でのライバルとして現在まで付き合っている仲間である。
 「日間名君、それは僕の記憶では違うと思うよ。チョット待って今念のために六法を調べてみるわ。」
 日間名の間いかけに磯樫は答えた。期待に反した磯樫の返事を聞くと、じっとりと日間名の首筋から背中にかけて冷たい汗が流れた。
 胸の動悸も激しさを増している。日間名は息苦しさを振りほどくようにネクタイを緩め、ワイシャツの第一ボタンを外した。
 今、磯樫が言ったことが彼の勘違いであって欲しい。
 (君の方が正しかったよ…)と一言でいいから言って欲しい。この時ほど、他人の間違いを切実に期待したことなど、かつてなかった日間名であった。
 が、そのように思う反面、なぜ決済前にそのことを確認してゴーサインを出さなかったのかと、悔悟の念にかられたのだった。

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つづき