5月3日(日) 晴後曇り後雨 いよいよ下山の日を迎えた。隣のスイス人の一行は早朝ツェルゴリへ出発していった。残されたポーター達が一列に並んで私たちの一挙手を眺めている。どこの村から来たのか知らないが夫々が別の人種かと思える程違った顔をしている。 予約したヘリコプターが時間どおりに飛来した。この国にしては珍しい。2年前は2時間も待たされたものである 初めは24人乗れるということであったが、ロシヤ製のヘリは製造年月日が古くなってきているので、この4月から乗客は7人しか乗れなくなったそうである。そのような話を聞くと心細くなる。飛来したヘリは大量の荷を下ろし、それが空になったのだから全員を搭乗させてくれるよう交渉したがダメだった。私たち3人とヤンプー、プルパ、パサン、サランステンシタの4人が乗り込み、後のチーフコック他6名ははシャブルベンシまで歩いて降り、バスでカトマンズへ出ることになった。 ヘリの操縦士はロシア人である。機上には他に鼻ヒゲを生やした警察官とロシア人の若いカップルが乗っていた。彼らは乗ってきたヘリに其のまま乗って帰るのである。このヘリは私たちのチャーター便であったのか、それとも便乗するだけだったのか、言葉が十分に通じないのはこのような時には困る。本来なら全員が乗れたはずなのである。若いロシア人の女性の美しさが一際目を引いた。 若いサランステンシタが同乗したので内心不思議に思っていた。この国には階級制度の名残が強く残り、チーフコックのケービグルンが乗るものと思っていたのであるが、ヤンプーが彼と共にやってきてヘリの前で一緒に写真を撮りたいと言ってきた。彼はカトマンズ在住の新聞記者と言うことである。そういえば他のシェルパと比べると弱々しかった。彼は私たちを取材に来たのだそうだ。私たちがどのような記事になるのか知らないが、この国の平均寿命は49才といわれている。65才と60才が登るとなると話題になるのかもしれない。5月10日の日曜版に載せると説明してくれた 飛行時間僅か20分でカトマンズ空港に到着。後はホテルで休養する。 夜、私たち3人で日本料理店「富士」で久しぶりにゆっくりと和食を味わった。 |
迎えのヘリ |
村の娘たち |