4月20日(月) 曇り

 登山許可申請はヤンプーのマネージャーが代行するので、朝から装備品のリースや買出しに出かけた。日本から持ち込むのに面倒な手続きが必要な燃料や荷物として嵩張るテント・ザイルなどは現地調達を予定していたので、ヤンプーに案内されてカトマンズ市内の登山具店を回る。

          

登山具店で

   

 市内の登山具店は無数にある。各店舗の構えは間口1間程度と小さく品数は少ない。一つの店を覗いてすべての装備品が揃うということはない。殆どの店が仕入先はビッグクライムの遠征隊の払下げ品である。中には仕入代金無料のものもあるのかもしれない。私たちも4軒の店を回った。メインザイルやフィックスザイルなど事前の情報よりも高額であり、EPIガスは日本の倍の料金を要したが装備は必需品なので予算よりもかなり高額になったが手配した。

 リース品 高所テント3張り、マットレス

 購入品  メインザイル(8mm×75m)、補助ザイル(6mm×200m)、

      EPIガス(30個)、スノーバー(50cm)5本、ハーケン(ロック・

      アイス)10本、 合計119900円

 夜、私たち3人はヤンプーの家に招待されていた。プルパに案内されて彼の事務所に寄ると彼とスタッフたちが明日からの出発のため午前中揃えた装備も含め、すっかり梱包を終え準備が整えられていた。そのすぐ近くにヤンプーの自宅はあった。

 料理は夫人の手作りである。日本ほど手の込んだものではないが彼らにしてみれば最大の歓待なのであろう。ヤンプーは食事をしながら身辺の話をしてくれた。彼は今年32才になり、出身地はエベレストの東、マカルー(8481m)の東麓カンドバリという村で、そこには上の夫人がいるという。彼には2人の妻が居るのだ。この国では2人まで妻を娶ることができることになっている。今ここに居る夫人は2人目で、夫人の前の夫はヤンプーの友人であったが数年前に山岳事故で亡くなり、その夫人と3人の子を引き取った。その後第二夫人との間に2人の子がある。故郷には第一夫人との間に3人の子があり、彼は8人の子持ちなのである。この国には36の部族があるというが彼はライ族で、死んだ友人と夫人達はシェルパ族で彼ら4人は友人であった。夫人達は同年齢で彼よりも5才年上である。

「働き甲斐があるだろう」と冷やかすとヤンプーは苦笑していた。

 家庭の事情で14才の若さで結婚した彼はシェルパ族ではなかったが登山活動に生活の場を求め、ポーター、シェルパと順次力を付け、その間独学で英語や日本語を勉強し、英語については堪能であるが、日本語は言葉は理解できるが漢字は理解できないようである。彼は得意の語学を活かし、今では独立して旅行代理業をしている。第二夫人の長男は今年19才になり現在彼の仕事の助手をしている。今日は神戸からきた大学の教師のお供をしてカトマンズの西にあるポカラからアンナプルナ(8091m)の山麓に出かけているそうで留守であった。

          

ヤンプーと第二夫人

カトマンズの街

   

 この国には5000m以上の山が1328座あり、そのうち登山が解禁されているのはまだ300座に過ぎない。1000座以上がまだ未登峰ということになる。

 今回目標としたナヤ・カンガは出発前までの情報ではまだ2回しか登られていないということだったので、その事実を確かめてみると、「ここ2年ほどは大きな山に登る人達がトレーニングに登るようになったのでもう10回ほどは登られているよ、つい1週間ほど前にもアメリカ人達が登っていったよ。」という返事だった。      

 このうちヤンプーが3回、プルパが2回登ったといった。私たちが第3登になるのではないかという期待と微かに残った冒険への憧れは消えてしまったが、彼らに対する信頼はまして酒量が上がった。

 

 
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