4月19日(日) 晴
福岡空港から関西国際空港へ飛び、午後1時関空からロイヤルネパール航空の直行便に搭乗する。連休前のためか機内は空席が目立ち、約半数の乗客で窓際に自由に座席を移動することが出来た。
上海で給油のために寄港。上海空港は郊外にあり、マスコミでよく紹介される発展著しい高層建築群とはかけ離れた風景が広がる。上空から見る空港周辺は無数の小さなクリークが縦横に走り、小船が交通に使用されている様子が窺える。機内清掃のため外に出され、ロビーを散策してデユーティフリーの店等を覗いていると、中国語の会話や文字等があふれていて異国にいる実感が湧いてくる。
1時間の休憩の後、上海より少数の乗客を乗せ機は再び飛び立った。行けども行けども同じような積乱雲の上の飛行が続いて、時計を見ても18時なのに太陽はまだ頭上にある。まるで沈まない太陽を追いかけているようであった。22時15分夕闇迫る頃カトマンズ空港に着陸。3時間15分の時差を調整して時計を現地時間19時に合わせる。
空港にはまだ会ったことのないサーダーが迎えに来ているはずである。合図のハンカチを取り出そうとすると小柄な人が近寄りいきなり「マサヨシさん」と声を掛けてきた。知らない人から姓よりも先に名を呼ばれるのも奇妙な親近感がある。
彼がサーダー(シェルパ頭)のサル・バハダル・ライ(ヤンプー)であった。
空港には彼とシェルパのプルパ・ドルチそれにマネージャーのエムディークルンの3人が迎えに来ていた。彼らに案内され、宿泊先のシェルパホテルに入り、翌日からの行動予定の打合せに入り、山麓の行程や、宿泊先、装備や食料、登山ルート等を確認し、料金の支払いについて相談すると、「全行程の費用全額を今頂きます」と言う。外国に来て初めて会った人に大金を預けるなど非常識かもしれない。契約書がある訳ではない、口頭での約束だけである。ここで持ち逃げされたら、法律実務の職にあるものにとって終生笑い者になるなと内心不安を感じながら、紹介者を信頼し、目前の丸顔の親しみやすい感じの人を信頼して3人分の費用106万円余を支払った。「領収書は後で持ってきます」と返事がきた。山で落としたらいけないということでパスポートや帰りの航空券まで預けてしまった。
彼らと翌日の再会を約束して別れた。