頂上を目指して

5月5日(金)
 2時過ぎ満天の星空を背にして5人でC.IIを出発。C.IIのすぐ後ろから急峻な締まった雪面に取り付き登行を開始。前日の偵察やル−ト工作によりライトの明かりだけでの登高も不安はないが、体力に優るシェルパのプルパとミンマは上方のル−ト工作があるので先行してしまった。私たちとラストを登るナム・ギャルの3人は取り残された形で後を追ったが、昨日引き返した屏風のような痩せ尾根の上に立ちはだかる岩壁に行く手を阻まれた。

クーロワールの横断

岩壁そのものは10mほどの高度に過ぎないが、正面から登ることはできない。側面を迂回するようになるが、横にせり出したル−トの下は300mも切れ落ちた岩壁となっている。
通過するのに失敗は許されない。前日試登しなかったことを悔やんだ。少し登ってみるが傾斜は70度以上もあり、ライトの明かりだけでは上方が良く確認できない。ル−トにはロ−プをフィックスしてあったが、上を確認できないまま登るには危険が大き過ぎる。時計を見るとまだ3時20分であったがこの岩壁の下で夜明けを待ち登ることにした。

側稜の登攀

 星明かりのなかに、タルケ・カン、ガンガプルナ、アンナプルナIII峰、マチャプチャレと続く長い稜線が黒い山際を見せて連なっている。高度はすでに6,000m。足元から徐々に寒気が忍び寄り、足踏みしながら夜明けを待った。
 東の空が白み、四囲の高峰が輝き始めた5時登高を再開、明るくなった岩稜は心配したほどの困難はなく乗り越し、先行する2人の足跡を辿り痩せ尾根の登高は続いた。南東山稜は上部の尾根上に雪庇が覆い被さっているので、直上は難しく右手の大きなク−ロワ−ル(雪の詰まった大きな谷)を斜め上に横切り、側稜から東山稜に出て頂上に至るコ−スに取り付いた。ク−ロワ−ルの横断に掛かったのが6時、頂上に登った後またこの谷を横断することになるが、それは雪面が緩まない午前中に通過しなければならない。東山稜に至るこの側稜の上方は傾斜約60度前後の硬い雪と氷と岩のミックスした斜面で、爪先立ちの登りとなる。技術的にはそれほど困難はないが、頂上に至るコ−スでは核心部になるのではないかと思えた。この側稜を約200m登ったところでル−ト工作しながら先行するプルパとミンマに追いつき合流した。

スリップしたら?
1000m下の氷河までさえぎる物はなにもない…

 私達がこの側稜に取り付いて2時間が経過した。70m程上の先頭を登るプルパは難渋している様子で動きは鈍く、長い時間をかけて側稜から東山稜に登り、見え隠れしていたが、暫くして降りてきてフィックスロ−プが足りないと言った。頂上まではまだ約200m残っているというがフィックスロ−プは使い果たして予備はない。安全のためにはロ−プをフィックスしておかないと下山が困難を極める。下山の安全を確保できない以上このまま登高を継続することは出来ない。大きなクーロワールの通過も気温が上がらないうちに下山しないと雪崩の危険がある。出発前に一山と相談のうえ、下山開始の時間を10時から12時の間にどの位置にいるかにより決定する事にしていた。プルパの報告は10時を少し回った時間であった。途中まで降りて下にフィックスしてあるロ−プを外してくるほどの時間的余裕はない。
今まで1年以上もかけて準備してきたのに頂上近くまで迫りながら引き返すのは心残りであったが予定時間が来ているので下山することにした。

今年1月亡くなった友人のハーケンを残す

 足元を見ると、1,000m下の氷河源頭まで遮るものは何もない。下降機のエイト環は用意していたが、直径6mmのフィックス・ロ−プに身を託すのでは摩擦による摩耗を恐れ、ロ−プを身体に回したクラシックスタイルで下降を開始する。怖じ気づいているとカメラのレンズフ−ドが、乾いた音を立てて落ちていった。
 下山に掛かる頃より天候は下り坂となり、やがて雪が舞い始め、雷鳴が続いた。その中をC.II近くの痩せ尾根まで下山した時、私の毛髪が突然ジリジリと音を立てて鳴り出した。

帯電したのである。身にはアイゼンやピッケル、またハ−ネス(安全ベルト)等に多くの金具を帯びている。いつ落雷するかわからない。これほどの恐怖を今まで体験したことはない。
前を行く一山に注意を促すと、彼は何も感じないといった。彼はすでに尾根上を過ぎてC.IIへの最後の雪の斜面に掛かっているので感じないのであろう。私だけが尾根の上に立って目立つ存在になっていたのである。腰を落し、姿勢を低く這うようにして最後の雪の斜面に達し、急ぎ下山した。結果論であるが、早めの下山決定が思いがけず幸運をもたらしたようである。

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