ルート工作と偵察

5月4日(木)
 朝になって、ヤンプ−から今朝も具合が悪く登れないと連絡があった。病気なら仕方ないが、今日中にC.IIに上がって来なければ明朝の出発に私達と同行できない。残った3人のシェルパは日本語を話せず、英語も簡単な単語程度しか分からない。こちらもまた同じである。会話が出来なければ最も大事な意思の疎通を欠くことになり心配であった。とにかく今日は上方の偵察とル−ト工作が目的であるので、荷物を軽くしてC.IIの後背地から雪の斜面を登る。
 キャンプ‖の朝
 出発準備

胸がつかえそうな急傾斜であるが雪面は比較的安定しているので雪崩の心配はない。ネパ−ル人達はどんどん先に登って行ってしまったが日本人3人は高度の影響もあり動きが鈍い。約150mほどの雪の斜面を登りあがると、屏風のような狭い南東山稜の尾根上に出て今まで見えなった東面の展望が開けた。東山稜との間にはまだ深い隔たりがあり、その間には無数のクレバスを抱えた氷河が蛇行している。このまま南東山稜を登り、氷河の上部、雪の詰まった谷を横切り東山稜に出る以外に道はないようである。このとき右手の谷から腹の底に沁みわたるような大音響がした。
 キャンプ‖にて
 マチャプチャリをバックに一山

振返ると無名峰(7,069m)の雪稜を大きな雪崩が滑り落ちて谷一面に雪煙を上げている。その上方を見ると尾根上に大きな氷塊が無数に重なっている。恐らくその氷塊の一つが落ちたのであろう。今登っている南東山稜も同じような状態であり、このままこの山稜を直登するのはやはり危険が大きい。シェルパ達は100mほど上方にロ−プをフィックスしながら登っている。この尾根を上方へ200mほど登ったところで、約10mほどの岩壁にル−ト工作しているシェルパ達に追いついた。
先頭に立ってルートを拓いて行ったシェルパのプルパ・ドルチ

高度6000mである。まだこの上には急斜面の雪稜が続いているが、初めてヒマラヤに来た高松が高度に順応できず調子を崩したので、日本人3人はここから下山することにした。シェルパ達に英単語とジェスチェア−をまじえ、私達は下山して休養する旨を告げ、彼らにも注意するようにいってC.IIに降りた。
 シェルパ達はル−ト工作を終えて16時頃C.IIに戻ってきた。今日ロ−プをフィックスできた距離は約300mである。
 C‖から雪の斜面を登る

夜の定時交信でベ−スキャンプに連絡するとヤンプ−は明朝5時にベ−スキャンプを出発したいというが、ヤンプ−が登ってくるのを待って頂上に登っていては遅すぎる。今回はサ−ダ−抜きで実行するしかない。プルパとの間に充分打ち合わせするように言って交信を代わった。また高松も調子を崩して回復できず、C.IIに残り私達をサポ−トすることになった。これで今回の登頂メンバ−はプルパ、ナムギャル、ミンマ、一山、中村の5人となった。プルパとの間に明日の出発時間を午前2時ときめて就寝。
 アンナプルナ‖7555m

 ヤセ尾根を登るミンマ・テンパ
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