田依はじっと中空を眺めていながら、チラッチラッと女性の仕草を見ている。その視線が女性の品定めをするかのように。 確かに目の前にいる女性は、とびっきりの美人ではないが清楚で、しかし、しっとりとした大人の女性の色気が漂っている。 |
また、色白で、瓜実顔である。スタイルも出るべきところと引っ込むべきところがはっきりと分けられていて、外見的には彼の好きなタイプの女性である。 こういう女性が嘘をつくなんてことがあるのだろうか。こんな魅力ある女性がでたらめを言う訳は無いのじゃないかしら。 田依は何の根拠もなく、ただそうあって欲しいという願望が彼女の魅力をして彼に思わせているのを自覚している。 <俺も本当に女性に甘いなぁ…> 田依はまた又ゆれ動く自分自身の心の統御が外れて行っているのを感じている。 彼女とこんな事ではなく、もっと別の事、そう、もっとロマンチックな大人の世界の中で出会いたかったと思っている。 その時、 「あなた、これはどこに届ければいいのですか……」 田依の甘い感情を見透かしているかのように彼の細君からの問いかけである。 彼女と結婚してから20年近くになるが、昔の面影ここにあらず、そのスタイルも大分くたびれて来ている。その細君が危険を悟ったのか、その場の空気を入れ替えさせたのである。 <そうか、いかんいかん危ないところだった。> もし、目の前の依頼人が男だったら彼はきっぱりと断わるはずだと思った。 <迷ったときには原点に帰れか> 田依は独りごちた後、今度ははっきりと目の前の女性と、金融業者に言った。 「申し訳ありません。何度言われましても保証書で登記する訳にいきません。」 女性と、金融業者は諦めて事務所を去っていった。
年が明けて御用始めの日、件の金融業者が新年の挨拶を兼ねて田依事務所にやって来た。 「先生、あのときは良く断ってくれましたね。いやあ、お陰で被害に遭わなくてすみましたよ。」タバコを出しながら続けて金融業者は言った。 「あの翌日、私は彼女が夫と呼んでた人に会いに行ったんですよ。そしたら彼女とは正式の夫婦でもなく、また、融資の話なんか全く知らないと言うんですよ。そして、さらに彼女とは別れ話が進んでおり、どうして、自分の実印と印鑑証明書を持ち出したか分からないと言ってましたよ。」 田依はあのとき散々迷ったことなど無かったかのごとく、 「そうですか。私としましても司法書士として当然の事をしたまでなんですよ。」と言った。 田依はやはり断わって正解だったと思ったが、心の片隅で彼女のことが少なからず気になった。 3/3 |