9月17日

 午前中は、昨日に続いて担保とその手続きを説明した。今日は公証人も参加してきて、実態規定について質問をしてくるが、質問を良く聞くと実態と手続きのそれぞれの規定がうまく繋がらないモンゴル法の実情が良く分かる。

 午後は、日本の登記手続きの基盤にある戸籍・住民票・印鑑証明書を自分のものを見せながら説明した。モンゴルにも革命以前は戸籍のような物があったとのことだが、多分家系図だろう。相続制度の説明をしたら、女性から「離婚の際の、夫婦の財産の行方は…」との質問が出た。このへんの興味は、日本と変わらない。伝統的にモンゴルは、末子相続の風習があるとか。

 

 社会主義時代のレーニン博物館
 現在はトルコ料理レストラン

 

 

 今日あたりから、モンゴル料理にも飽きてきたので、中華レストランに行ってみたが、すでにつぶれていた。仕方なく街の中心らしき場所で、トルコ料理の看板を見つけて入ったら、目に飛び込んできたのは正面にある大きなレーニンの胸像。でもホールは確かにレストランで、テーブルがあって、ウエイトレスがいる。後で聞いたら共産党支配の時代のレーニン博物館なのだそうだ。社会主義体制が崩壊しても、歴史的建造物ぐらい…なんて考えるのは、日本人ぐらいなのだろうか。

 

 9月18日

 今日のテーマは賃賃借についてだ。モンゴルでは、土地がまだ私有化されていないので、建物についての日本法を簡単に説明した。質問を受けるが、実体法が整備されていないので、賃貸借の法的関係の理解に苦しんでいるようだ。そこで、再び日本法の、合意による権利の変動と、登記の関係を説明する。途中で、登記課で唯一の男性職員が、意思主義と対抗についての日本法を詳しく聞きたいとの質問がでた。時間を有効に使うため、この熱心な青年を昼食に誘い、食事をしながらさらに説明を続けた。午後も、午前中の続きを具体例を使って説明した。

 帰りには、ホテル近くにあるボグドハーン宮殿を見物した。革命前は第8代活仏の冬の宮殿であった所である。現在の建物は1919年に建立されたもので、その建築様式は釘を一本も使わない木組み方式であると言われている。第8代活仏の生活用品や、世界各国から献納された動物の剥製・チベット仏教の曼茶羅・仏像などが展示されている。モンゴルの仏画師たちは、下塗りにモンゴル焼酎のアルヒを調合するなど独自の技術を開拓しているのだそうだ。ここも仏教美術の宝庫といえる。

 夜はモンゴル銀行(中央銀行)取締役のガンゾリック氏、部下のデルゲル氏と会食した。セミナーに参加して日本法をもう少し詳しく知りたいと頼まれたのである。彼らは審査部にいて、各市中銀行からあがってきた書類の審査をしているのだが、モンゴルでは実体法が不備なこともあり、担保がうまく機能していないので融資もスムーズにいっていないらしい。それで来年、市中銀行の担当者に担保の法律関係を教えて欲しいと頼まれ、段々この仕事がオオゴトに思えてきた。デンゲル氏は日本銀行のセミナーに参加した経験もあって、日本語も少し話せるし、2人共英語はできるので、コミュニケーションがとても楽だった。

 
 
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