ドバンからマチャプチャレB.Cへ

4月29日(土)
 深いV字渓谷は朝が遅い。東方に6,993mのマチャプチャレ、西方に6,442mのヒウンチュリ、二つの山の直線距離は約10km弱、この間に標高3,000mあたりをコ−ラが流れる。実に谷の深さは3,000mを超えているのである。深い谷は気流の変化が激しく、大気が温まる昼近くなると霧が沸き、やがて雲となって雨や雪を降らせる。霧や雨の多い谷間は、樹木が密生して深い森を形成することになる。上空には細長い青空が広がるが、今日も降雨を覚悟して7時過ぎにキャンプ地を出発した。樹林帯の中の小沢を横切り、流水が路上にはみ出した足場の悪いところを通過するとモディ・コ−ラ近くに出る。

ドバンのロッヂ

そこから少し進むと樹林帯が切り開かれ、ヒマラヤホテル(2,870m)に着いた。これより先はあまり道が良くない。森の古い樹木にボ−ドが貼ってあったので、その意味をヤンプ−に聞くと、これよりアンナプルナの神聖な山域に入るのでヤク、牛、豚、鳥など獣の肉類を持ち込んではいけないと書いてあるそうだ。ヤンプ−は抜け道はありますよと笑っていた。 

ラリーグラスが咲く樹林帯

 アンナプルナとは現地語で「豊穣の女神」を意味する。農業を営む村の人々は年毎の五穀豊穣を山に棲む神に感謝する。人知を超えた自然の美に対する畏敬の念は心のうちから必然的に湧き上がるものであり最も素朴なものである。この谷に住むグルン族の村人達にとって白雪に覆われて輝く嶺峯は、まさに「神々の御座」であり、この山域全体を聖域として敬っているのである。2年前に訪れたランタン谷の各村に比較すると土地も良く肥え、各農家の構えも大きく豊かさが窺える。 私達もこの谷に入り、グルン族の住む幾つもの村を通り過ぎてきたが、このような生活環境であれば心まで豊かになるのではないかと羨望を感じた。

ヒウンチュリから押し出された雪渓

 森が切れて、断崖を回りこむあたりで、二年前に私達とナヤ・カンガ登山に同行して二週間を共に過ごし、チ−フコックを努めたケ−ビグルンにばったり出会った。彼も私達のことを良く覚えていて懐かしそうに挨拶を交わした。アンナプルナ・ベ−スキャンプまでアメリカ人を案内しての帰りだそうである。短い会話を交わして別れ、去りがたい気持ちで後を振り返ると、彼も道の曲がり角に立ち止まり、私達を見送っていた。
 デウラリ(3,230m)で昼食をする頃よりまた雲行きが怪しくなり、先を急ぐ。
 左側のヒウンチュリの高い岩壁から落ちた大量の雪が断続的に雪渓を造っている。雪渓を避け、コ−ラを左岸に出て川原から段丘に登り、ダケ樺の大木が茂る山腹から小尾根の鼻に出るころより、降り出していた雨はアラレに変わり粒も段々大きくなる。高度もすでに3,500mあり気温も下がってきた。

河を被いつくす雪渓

荒天のため休憩することもできず、そのまま前進したが、モディ・コ−ラを再度渡るころには天気も最悪となった。増水した川は丸太で組んだ橋のすぐ下まで迫り、目が回るような勢いで流れて行く。雷鳴の中を大粒のヒョウが降り、顔や耳に当たると堪らなく痛い。川を渡り終わったところに大岩があり、岩陰に休憩しながら足元を見るとヒョウの直径は凡そ1.5cmもある。こように大きな粒があたれば痛い筈だ。やがて小降りになりみぞれ模様のなかを再び歩き出す。見上げるヒウンチュリの大きな岩壁からは降雨のため幾条もの滝が流れ出した。
 この雪渓が終わるころ先行して私達の荷物を運び終えたポ−タ−が5人下山してきた。もう今日の宿泊地も近いのであろう。一番年配のポ−タ−は素足で雪渓の上を歩いてきた。彼が休憩している時に足の裏を見たことがあるが、足の裏そのものが分厚くまるで地下足袋のようにひび割れている。ヤンプ−から前もって相場を聞いていたので、一人づつ200ルピ−(400円)のチップを渡すと大喜びで雪渓の上を跳ねるような勢いで帰っていった。

ネパリ・ペッパン

 みぞれが降り続ける中を濡れながら、キャンプ地のマチャプチャレB.C(3,720m)に到着するとテントは既に設営してあった。私達も荷物の多くが濡れ、気温も下がり寒いので、テントではなくロッジに泊まりたいと思ってヤンプ−が宿を交渉したが、5・6軒あるロッジはいずれも満室で、またテントに帰りシュラーフに潜り込んだ。

モディコーラを左岸へ移る
左岸 上流から見て左側
右岸 上流から見て右側
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