マチャプチャレB.Cからシングー・チュリB.Cへ
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4月30日(日)
マチャプチャレ、ヒウンチュリ、アンナプルナサウスと大きな山々に囲まれたこのベ−スキャンプは絶景の地にある。昨日の雨が嘘のように今朝もまた快晴で明けた。
トレッキングチ−ムは私達とはここで別れ、アンナプルナ・ベ−スキャンプまで登りそこに宿泊、翌5月1日マチャプチャレ・ベ−スキャンプに戻り、5月2日シング−・チュリ・ベ−スキャンプに登るということになる。登山チ−ムは5月2日にはベ−スキャンプから既に前進キャンプに登った後であり、5月6日まで会うことはないので朝の食卓を囲み、二つに別れるパ−ティの今後の行動についてお互い確認した。この登山のために購入した通信機は取扱いに不慣れで、藤井との間に急遽使用方法を確認し、今後の定時交信時間を9時、12時、17時の1日3回とし、定時交信の際に必要に応じ臨時交信時間を設定することにした。
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マチャプチャレ
ベースキャンプから見るアンナプルナサウス |
渡河の作業
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出発準備に手間取り、私達は8時過ぎにトレッキングチ−ムに送られてキャンプ地を出発した。建ち並ぶロッジの下を通り、アンナプルナ南氷河のモレ−ンを捲いてモディ・コ−ラの川原に出る。堆積地の足場は軟弱で川原に出るのに1時間を要した。シング−・チュリ・ベ−スキャンプに向かうにはこの川を渡り、さらにアンナプルナ西氷河から流れ出た川に沿って登行しなければならない。徒渉点を捜しながら右岸を溯るが数日来の雨に水流は濁り、流れも速い。南氷河との合流点を少し上流に溯り、川幅が広くなり流れが緩やかになった地点を徒渉点に選んだ。
目の前の川幅は約20m、中間に洲があり、水流が二つに分かれている。その端から端までロ−プを張り、靴を脱いで渡ることになった。氷河から流れ出た水は冷たく、濁った水は底が見えない。
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ポーターのエリス
体重と同じくらいの荷をかつぐ |
シェルパニ(女性ポーター)を渡すエリスとクマル
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一番若いシェルパのミンマが空荷で渡りロ−プを張ってくれたが、増水した水流は最深部で膝上まであり、渡るのは楽でない。私達も素足になり川に入ったが冷たいのを通り越して痛い。シェルパやポ−タ−のうち元気がいいのは2回、3回と渡り他人をサポ−トしている。若いミンマも3回目になると、渡り終えると同時に冷たさに堪らず川原に座り込んでしまった。この川を全員が渡り終えるのに40分を要し、さらにアンナプルナ西氷河に向かった。
西氷河からの流れは狭いゴルジュ(峡谷)を通ってきている。右岸を少し上ると、川全体が雪渓に覆われてしまった。ゴルジュの雪渓を登ってゆくと、強い水流に雪渓が分断されている。川幅は狭いがアンナプルナ西氷河と東氷河の流れを集めた水流は強い。左岸の雪渓を登り詰めて川幅が一番狭くなったところに水中に隠れて大きな岩があり、この岩を足場に渡ることになった。
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アンナプルナ西氷河の関門に向かう
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第二の渡河点を渡る高松
サポートするシェルパ
左から、プルパ、ミンマ、ヤンプー
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水流が早く油断はできない。シェルパが張ったロ−プを頼りに足を踏み入れる。すでに標高は約3,900m、冷たい雪融け水の中を渡るのは辛い。渡り終えたところに靴を履くような足場はなく、そのまま雪渓の上を素足で這い上がった。
川を渡り雪渓が終わったモレ−ンの上で昼食にする。腹は減っているのだが、食事が進まない。疲労が蓄積され、高度の影響を受け内臓の働きが弱ってきたようだ。見上げると狭いゴルジュの断崖には数条の滝が掛かって飛沫をあげているが、下までは落ちてこない。風に揺れながら霧となって消えてゆく。
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モレ−ンの瘤を越えて行くと東氷河と西氷河に分かれ、シング−・チュリから伸びた尾根の側壁から幾襞にも別れて氷河に落ち込む小さな尾根を、西氷河に沿って次々に横断して進む。このあたりは殆ど人も通らないのに踏跡らしいものがあり、また野焼きの跡もある。野焼きといえば九州の阿蘇の高原でも害虫の除去と牧草の施肥のために行われている。ヤンプ−にこのようなところでも牧畜が行われているのか聞くと、この谷には7月下旬から8月にかけて柔らかい上質の牧草が生えるので、下のチョムロンの村から羊を連れた村人が登ってくるのだそうである。7月、8月といえばモンス−ンの季節である。雨期の最中にあの河をどのようにして家畜を渡すのか興味が涌くと同時に、生活のために自然の恩恵を利用する麓の人たちの智慧と勇気と努力に敬服した。
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2日遅れで登ってくる藤井外2名はどのように渡渉するか心配になった。野焼きの終わった跡には可憐なサクラ草が咲き始め灰色の山肌に彩りを添えている。東京から参加した高松は渡渉が終わってから急に歩行ペースが落ちた。
高山の影響が出てきたのは顕かである。私と高松は皆より随分遅れ、アンナプルナ西氷河の段丘に開けた牧草地の一角に辿りついたときには、既にベ−スキャンプ(4,350m)はポ−タ−達により設営してあった。
シェルパやポ−タ−達は牧草地の岩と岩の間にタルチョ−(経文を書いた旗)を張り巡らし、これからの登山の安全を祈願するため祭壇を設けていた。
今日一日の行程は体力の消耗が激しく、また高度の影響もあって夕食が全く喉を通らなかった。
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